万博外周道路 自転車を置き去りにした自転車道改修(後編)

 

  「万博公園エリアへの魅力向上」と称して改修が進められている万博外周道路の、改修にあたって気になった事や、気になっていた事など取り上げてみます。

 

  跨道橋から見下ろすと、歩道路面がきれいに打ち直されているのと、同時に自転車道が以前のままである様子の鮮やかな対比が目に入ります。ただ、自転車道部分も、歩道寄りの幅数10センチほどは全区間に亘って打ち直されています。

 ですがこれは自転車道の路面改良のためだったのではなく、排水処理の関係で生じたらしい。排水管の位置が低くなったためか、縁石際の部分が下がって、歩道寄りの路面を擦り付ける必要が生じたようです。傾斜(横断方向)はごく軽度で走行への影響は軽微なのがまだしもの救いです。

  ここまで掘り返すのならいっそ全面改修しては、と筆者など思わずにいられないのですが、府(茨木土木事務所)へ問い合わせたところでは、改修はあくまで歩道拡幅に関わる部分に留まる(理由は「予算がない」の一言)、またこの仕様は残りの工区でも同様だとのことでした。  

 

 下は改修区間の中ほどにある跨道橋との間の乗入れ部、ここの段差が大きい。測ってみると5cm。自転車にはけっこうなストレスとなる段差です。 

跨道橋は元より階段とスロープを併設して、自転車の通行を想定しています。

  跨道橋は外周道路の内側につくられた巨大ショッピングセンターとをつなぐ経路にあたっていて、とくに週末などは多くの人に利用されます。 つまりこの乗入れ部は自転車の「通行」が発生している箇所になります。

 下は改修前の画像。計測値は持ちあわせないですが、以前の方が確実に段差が小さかったのが伺えます。

 

 

   外観上は「車道⇔民地」の乗上げ部であるものの、機能としては「歩道⇔横断歩道」の移行箇所に近い箇所です。古い施工のためにバリアフリー法未適用の状態だったものと思われますが、改修にあたっては法令が参照されたはずです。法令には、段差を2cmとする歩道の横断歩道に接続する部分等の規定がありますが、5cmの段差が適用されているということは、機能ではなく形状(車道からの乗入れ部)によって基準が適用されたのだということでしょう。

 

 しかし事の大元は乗入れ部の規定に自転車が想定されていないことにあるでしょうか。あらためて法令を覗いてみても、自転車道と段差の関係に言及している箇所など見当らず。自転車道に限らずとも、たとえば自転車駐輪場や地下通路など、乗入れ部を経て車道と行き来する(と想定すべき)施設は一般に存在します。そもそも自転車の車道走行が推進されている昨今においては、ほぼあらゆる施設がその対象となっておかしくない。バリアフリーの規定が、自転車にバリアをもたらすという不条理が、いつまでも放置されていい事はないはずです。

 

  さて現場の条件が現行の法令で想定されていないということは、そのぶん担当者の技量・姿勢が問われるところかと。道路管理者(交通管理者も)は、自転車を降りておぼつかない足取りで縁石を越える利用者の様子など見たことはあるのだろうか。

 

 あと、これはかなり些末な点にはなりますが、この際合わせて指摘してみます。

 上は改修区間北端の交差点。脇の道から入ってくる自転車の動線が不自然に揺れているのが散見されます。

 

 歩道が広くなって歩道が目に入りやすくなったせいか、ほんの僅かの時間、自転車道の認知が遅れるようです。その結果、一旦は歩道へあがりかけてから何とか自転車道へ入り直すという動線になります。このまま歩道へ入る自転者も一定数います。動作を不安定にしますしハンドルがとられやすい点字ブロックの上でもあり、事故の誘発要因となります。

 

 上は改修前の当該箇所。歩道の端が巻込み形状になっており、自転車道部が「口」を開いた恰好になっていました。脇道から来る自転車を待ち受けるかのようです。以前は意識しなかったので憶測になりますが、形状以上に歩道に対する自転車道の存在感が大きく、自転車が歩道へ上がってしまう懸念は少なかったと思います。

 構造分離インフラである自転車道は、一旦区分を違えると走路が変更されにくいので、末端部や合流部でしっかり自転車をキャッチする配慮が求められます。最低でも、自転車道と脇道の路肩部とが連続性をもって認識されるよう、歩道路面の色もしくは素材を自転車道のそれと異なるものにする等の改良を望みます。

 もしさなる検討が可能なら、歩道の横断歩道手前の一部を交通島状の構造に分離して、脇道からの左折経路をショートカットするデザインなども考えてほしいものです(脇道は吹田市の自転車NW計画にも入っていないし、現状ではまず寝言扱いでしょう)。


 以下、改修区域外の状態。とにかく劣化・損傷が進んでいます。

 後で検討しますが、万博外周道路の自転車道の設置後年数はおそらく40年を超えていると見ています。たとえ「魅力向上」の戦略的観点では対象から外れるのだとしても、一般的な道路状態として、更新されてしかるべき程度ではないかと思います。府からは「改修しない」と言われつつも、これを放置することはなかろう、と一抹の期待は抱いている次第。

 

 外周道路自転車道の最狭部(W≒3m)。この付近(みのり橋南交差点西)は自転車道が設けられたのち、車線が増設された煽りを受けて狭められたらしい。路面状態が比較的マシなのはこうしてイジメられた区間。

 

 思い思いの場所から横断する利用者ら。歩道(モノレールの橋脚辺りで途切れている)を拡幅しつつ、横断歩道の手前まで延ばせば歩行者と自転車の分離は格段に進むだろう。

 

 このような、今なお日本では珍しい緩衝帯で離隔をとる分離形式が見られます(幅は約2mほどだったかと)。見た目にも心地よいグリーンと解放感、横断の許す限り、分離形式としてベストだと思う。

 

 下の画像は、外から延びてきた道が外周道路に合流する箇所。

 滑らかな曲線を描いて外周道路へ合流します。自転車道と歩道はその都度これに直交するために屈曲させられる線形。 自動車道などの基本デザインですがここは一般道路です。車の動線が設定されて自転車や歩行者の動線がそれに付随して決まるというクルマ脳の産物。そうした自明と思われている設計を、根本から見直す機会がそろそろ設けられないものだろうか。

 

  屈曲部に立ちはだかる車止め。おそらく横断部の際から〇cmといった規定を機械的に適用しているにすぎないこうした状況も見直したいもの。交通管理者的には自転車のスピード抑制効果も期待してのことかもしれないが、自転者的には単にストレスでしかなく、むしろ事故誘発要因と言えます。

 

 信号制御の普通の交差点もあります。しかし自転車道の処理は他では目にかかれない独特のものです。この屈曲はもしや自転者に減速を促すデザイン?

 海外の交通施策を覗いていると"nudge"という語に出くわします。望ましいとする行為をデザイン(物理的な仕掛け)によってさり気なく促すという考え方です。もしそうだとすれば、相当に先進的な設計思想となります。  

 それははっきりしませんが、自転車道がそのまま交差点に達していること、滑らかで走行に無理のない曲線で処理されていることも目につきます。

 現在、自転車道の交差点部処理で一般的なのは、下の写真のような交差点の手前で自転車道を打ちきって歩道とする形式です。 しかしこれは自転車の誘導を放棄しているもので、交差点部で歩行者との交錯を生じさせます。

 

自転車道例 京都市内 

 下の写真は比較的近年整備された例。少数ですが、こうして自転車道を歩道に解消せず、交差点まで延ばしている例もあります。ただ外周道路と較べると、こちらの例では車道との間に緑地(緩衝帯)を欠いているのがわかります。

 交差点部は自転車インフラ設計の難点です。外周道路の自転車道ではそれが現今の自転車道に較べても高いレベルで実現しているようにうかがえます。 

自転車道例 大阪市平野区

 

 また、こちらの交差点(下写真)などを見るに、安全配慮に由来するデザインでは、という考えも捨てがたく思えてきます。

大型ショッピングセンターへのアクセス路になって通行量は増加気味。  

 屈曲は横断者の安全地帯を確保しつつ、同時に自転車の減速も意図していたのではないか。安全地帯は待機スペースを増やすとともに、一度に渡る距離を小刻みにする高齢者らにやさしい設計でもあります。また、この横断面を確保するために用地を確保している点も指摘しておきたい(単路部から交差点にかけて、写真では右側に用地が張り出している)。自転車道は5mの幅員を保ったまま交差点を貫通しています。  

 

 総じて、潤沢な空間リソースを使って意欲的な設計が試みられていた、という感想が立ち上がってくる外周道路の自転車道です。今では見直しを求めたく思う点などありつつも、放置に任せるのはあまりにも惜しい貴重な自転車インフラです。 


 あともう少しばかり、素人考えを晒して終わりにしたい。

 

 先に筆者はこの外周道路の自転車道を「昭和のレガシー」と言ったのですが、実は筆者はこの自転車道のできた時期を知らない。外周道路の自転車道はいつ作られたのか。万博の外周道路の自転車道なのだから万博に合わせて作られたのだろう、というとそうではないのです。下は万博当時の外周道路と現在の該当箇所の画像を並べてみたものです。

 往時の写真からは自転車道と思しい構造は確認できません。現在、基本3車線の外周道路(公式記録』では「外環状道路」と記載)は、当初は4車線の道路だったようです。 

 

 写真上:『日本万国博覧会公式記録』(日本万国博覧会記念協会刊)より 

 

 

  さしあたって筆者は以下の推察から、いちおう70年代の中頃とみています(もしご存知の方おられましたらぜひ情報をお寄せください)。

 

 万博事業はその敷地造成や会場建設だけでなく、広汎な周辺整備をも伴うものでしたから、外周道路はそのための工事用道路という側面も強かったかと思われます。であるなら、万博閉幕後には大幅な交通量の減少を生じたのではないかと想像します。それはオイルショック以前の高度成長の最中にあっても、よく意識されたほどの変化だったのかもしれません。

 

 そのだぶついた道路空間を、たとえば緑地や遊歩道にするというのではなく、自転車道へ転用しようと発想したのは、単に成長期にあった社会がもった余裕なのか。もうひとつには、ちょうどその頃アメリカから入ってきて自転車への関心を高めていた「バイコロジー運動」があるでしょうか。各地の大規模自転車道が整備されたのも概ねこの時期かと。

 

 しかし一方で「普通自転車」なる用語が設定されて自転車の歩道誘導が整えられる('78年)など、70年代の後半にかけて、その後に続く自転車施策が明確になってきます。そうした流れなどを鑑みると、自転車のインフラ整備に力が注がれうる状況は、在ったとしてもごく短期間のことだったのかもしれません。 以上を考えあわせるに、自転車道の整備はおおよそ'70年代の中頃かその前後だろうか、というのがへっぽこなりの推定です。

 

 牽強付会を承知しつつなお考察(妄想)を進めるなら、この時期はオランダが「Stop de kindermoord」運動やオイルショックを経て自転車インフラを本格的に模索しだした時期とも重なります。 直接の影響は考えにくいですが、一時期の日本は、共時的に世界とトレンドを共有していたのかもしれない。そんな想像を万博公園の外周道路は膨らませてくれます。少なくとも日本も単線的に自転車を疎外してきたのではなく、自転車道づくりに坂の上の雲を追いかけるような屈託ないチャレンジをした時期があったらしいことは、想像ではない事実だと思う次第です。

  

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コメント: 1
  • #1

    (日曜日, 03 12月 2023 15:51)

    点字ブロックも殆ど使用されていない。ホント無駄。ジョガーとか歩行者が自転車専用レーンを走るし、ホント邪魔。あと左側通行もしろと。